金融共闘の結成
全国金融労働組合共闘会議(金融共闘)は1961年11月9日~10日、東京の全電通会館で開催された金融労組の代表者会議で結成されました。
これに先立ってこの年の8月11日、金融労組11組合による拡大金融労組懇談会が全損保(全日本損害保険労働組合)の会議室で開催され「8・11アッピール」が発表されました。「大幅賃上げのための金融労働者へのアッピール」というサブタイトルで出されたこの声明は全損保、地銀連(地方銀行従業員組合連合会)、全相銀連(全国相互銀行従業員組合連合会)、全信労(全国信用金庫労働組合協議会)、全生保(全国生命保険労働組合連合会)、全外連(全国生命保険外務労働組合連合会)、外銀連(外国銀行従業員組合連合会)、全証労協(全国証券労働組合協議会)、公庫労協(金融公庫労働組合協議会)、全労金(全国労働金庫労働組合連合会)、日本信託銀行労組の11単産(組合)の連名で出され、5千円の一律賃上げなど5項目の要求を掲げ、金融労働者の結集を呼びかけました。
そして同懇談会で11月の拡大代表者会議の開催が決定され金融共闘の結成となりました。
金融労働者のたたかい広がる
金融共闘が結成されたこの時期は一方で金融労働者のたたかいが急速に広がった時期であり、翌年(1962年)の春闘では、東京の統一行動(2月27日、日比谷野外音楽堂)に8千人の金融労働者が結集し、大阪では2月23日に大阪中ノ島中央公会堂に6千人が参加。地方でも各地に地方共闘が組織されています。この年の賃上げは定期昇給を除いて2千~3千円のアップという大幅賃上げをかちとり、その影響で未組織の信用金庫でも3千~4千円の賃上げを実現しています。
同時に、金融労働組合に対する攻撃も激しくおこなわれています。前年の10月から長期にわたって全面ストライキがたたかわれてきた東京信用金庫では、経営者が百数十人の暴力団まで投入して組合を攻撃し、組合幹部19名が懲戒解雇となり、6月には日本信託銀行労組の委員長、副委員長が解雇されています。また、この年10月から公然と組合分裂攻撃を受けていた地銀連の七十七銀行従業員組合は翌1962年7月に委員長、副委員長など8名の解雇など16名の組合幹部に対する不当処分がおこなわれます。
以降1960年代を通じて多くの金融労組で組合分裂攻撃が激しくおこなわれました。
「不当労働行為」の違法性を職場に根付かせる
分裂攻撃を受け少数派になった労働組合もそれに屈することなく法廷と職場でたたかい続け、金融共闘に結集する広範な金融労組の支援を受け、不当解雇の撤回・職場復帰をかちとっています。さらに金融共闘に結集する労働組合の労働者を、不当に低い賃金・職位に「塩漬け」する差別政策(不当差別)の是正を求めるたたかいでも、あいついで成果を上げ、労働組合法の規定する「不当労働行為」の違法性を職場の現実に根付かせました。
1960年代後半からは事務合理化・機械化の進展の中で多数の金融労働者が頸肩腕障害などの職業病を罹病しました。金融共闘は1966年11月に神奈川県の読売ランドで「職業病対策全国交流集会」を開催するなど職業病対策の運動で、中心的な役割を果たしました。
女性差別をなくすたたかいで成果
金融労働運動は女性差別をなくすたたかいで積極的なとりくみをおこない、三和銀行、第一勧業銀行など大手都市銀行においても女性労働者への差額賃金の支払いを実現する大きな成果を上げてきました。女性労働者への差別是正・課長職への昇格、解決金2億2千3百万円の支払いを実現した芝信用金庫の男女差別裁判でも金融共闘とその加盟組合は積極的に支援し勝利和解に道を開きました。野村證券男女差別裁判では一審の東京地裁判決を大きく上回る勝利和解を東京高裁でかちとっていますが、この勝利和解には金融共闘が野村証券本社前での抗議要請行動を大規模に繰り返したことなどが重要な要因となっています。
「金融三争議」をたたかいぬく
2000年代に入ってから、東京海上日動社が外勤社員制度の廃止を打ち出し全損保は組織を上げてこれとたたかいました。このたたかいは同じ時期に発生した日産センチュリー証券の労働組合破壊攻撃・同証券労組(全証労協)金子副委員長の不当解雇撤回のたたかい、外資系大手保険会社Aにおける契約社員(金融ユニオン組合員)解雇撤回のたたかいと一体のものとして「金融三争議」としてとりくまれました。
東京海上日動社に対するたたかいで全損保は516万枚をこえる例を見ない規模のビラを地域で住宅に配布し、裁判では会社の計画していた外勤社員制度廃止に対する事前差し止め命令を東京地裁でかちとるなど、日本の労働運動にとっても画期的な先例を作り上げました。
金融共闘に結集する金融労組は金融三争議共同行動として連帯してたたかい、日産センチュリー証券労組の金子副委員長の解雇撤回・職場復帰をも実現し外資系大手保険会社A社の争議をも和解解決を実現しました。
国民のための金融機関の在り方を提起
金融共闘は争議をたたかうだけではなく、バブル経済が破たんした後の1990年から2000年代初頭にかけての不良債権処理を名目とする金融機関の再編に対しては、専門家を招いて「金融共闘シンポジウム」を開催し、金融自由化政策の問題点を指摘。国民のための金融機関の在り方を提起してきました。
●現在の金融共闘加盟単産
●2023年度幹事会体制
・議長 |
浦上義人(全損保) |
・事務局長 |
笹本健治(金融労連) |
・幹事 |
宮﨑陽子(全農協労連) |
伴邦雄(金融労連) |
(全証労協) |
中島美智子(全損保) |