全損保結成70周年記念シンポジウム
11月9日(土)、全損保は結成70周年記念シンポジウムを開催しました。シンポジウムでは70周年記念誌「たたかいとる力を高めるために企業の枠をこえて」を素材に、70年間貫かれた「全損保らしさ」とは、などが時間いっぱいに語られました。
パネルディスカッションでは、及川副書記長が日動外勤のたたかいを報告。日動火災は2004年に、東京海上と合併しますが、その直前に全損保日動外勤支部が分裂攻撃を受けます。日動外勤支部は組合員1000名でしたが、東京海上には外勤社員制度がなかったので、この分裂が日動の外勤制度の廃止(=1000名の職場の消滅)につながることは明らかでした。分裂攻撃を受けても、170名が日動外勤支部に残ってたたかいました。相次ぐ不当な攻撃に仲間たちが不安と悩みに襲われますが、支部臨時大会で方針を確認し「みんなで頑張っていこう」という気持ちになったと言います。2006年3月の全損保中央委員会で「東京海上日動経営の不当な攻撃に対し、毅然とたたかう日動外勤支部の仲間を全体で支える決議」が採択されます。自分自身は会社を辞めようと思っていた及川さんは、この決議で原告としてたたかっていこうと決断できたと振り返りました。日動外勤のたたかいは、会社に従わなければ解雇を検討するという会社に対して、その解雇を事前に差し止めを命じる労働裁判として画期的な判決を勝ち取り、会社の不当性を暴くポスティングビラを多くの全損保組合員が「自らのこと」として各地の地域で一戸ずつトータル517万枚配布して損保トップ企業東京海上を追い詰めるなど、「全損保らしく」たたかい日本の労働運動の中で教訓となる到達点を築いています。
全損保ホームページ「日動外勤支部のたたかい解決」
荒木書記長は、全損保が第1回全国大会の時から損保産業の本来の社会的役割を追及してきたことを説明。1980年代に損保では長期総合保険、積立ファミリー交通傷害保険など積立保険の販売競争が激化し、顧客にクレジットや信販会社からローンを借り入れて一時払いの保険に加入することを勧誘するなどが横行しました。全損保は消費者アンケートに取り組み、消費者が損保に求めているのは、貯蓄性を売り物にする積立保険ではなく、安価な保険料による幅広い補償であること明らかにしています。荒木書記長は当時1組合員として、この全損保の運動に強く共感したことを回想しました。また、2000年以降に各支部に相次いだ分裂・脱退攻撃について、当時の日本火災支部執行委員としての経験を紹介し、脱退側の執行部は「一つの企業には一つの労働組合」という言葉を振りかざすことを指摘。これは脱退派が、企業の枠をこえた単一の労働組合である全損保と、正反対の「労働組合」を目指すことを示します。荒木書記長は分裂・脱退が「労働組合」を抹殺するものだったことを明らかにしました。
浦上委員長は、全損保の草創期について発言しました。第2次大戦後、様々な産業で労働組合が結成されます。損保では1946年11月に「損害保険従業員組合連合会」(損保従連)が結成されますが、結成当初から、組織強化を目的として「単一化」の議論が続けられ、1949年11月に全損保が結成されます。多くの労働組合が企業別労働組合の連合会として、産業別労働組合が結成される中で、個人加盟の単一組織となったことが現在に至る「全損保らしさ」の中核にあります。浦上委員長は、そういう全損保だからできる運動として「一人一言」運動と、「サマージャンボリー」の取り組みをあげています。荒木書記長が説明した1980年代の積立保険の異常な販売競争が横行した時期に取り組まれた「一人一言」の中で出された第一線の営業社員の疑問と怒りの声を紹介し、こうした取り組みができるのは企業の枠をこえた単一組織ならではと強調しました。
「サマージャンボリー」は住友闘争の勝利解決を機に始まっています。1960年代に全損保は相次ぐ分裂脱退攻撃を受け、住友海上では分裂後に結成された企業内組合が会社とユニオンショップ協定を結び、全損保に残った役員4名が解雇されました。企業内組合とのユニオンショップ協定を理由として全損保組合員を解雇することは、ユニオンショップ協定制度の本来の意義を転倒させる異常な攻撃です。1968年の解雇から全損保は青年婦人が先頭に立って組織を上げて闘い、1973年には全損保組合員38,000人の参加する産別ストライキを成功させ、1975年に職場復帰を勝ち取りました。「サマージャンボリー」は、そのたたかいで盛り上がった若い労働者のエネルギーを相互の結びつきにつなげていこうと1976年7月に、700人にのぼる青年婦人が長野県白馬村に集まって第1回目が開催され、今年44回目を迎えています。
全損保ホームページ「全損保第44回サマージャンボリー」
シンポジウムでは70年間の重要な取り組みを、現在の役員と組合員が、70周年記念誌をベースにふりかえり「全損保らしさ」を確認し合う場となりました。同時に、労災闘争について発言した山本副委員長が、自身が働く会社で過労死の事例があったことを認識しないで支部執行委員になったと反省を込めて率直に話し、こういった事実があったことは風化させてはならないと述べています。山本副委員長の「過労死の事例を自分自身の経験と合わせて考えると、今でも同じことが起こりうると強く感じた」との発言からは、過去の取り組みの確認が、現在を見つめ、今後への決意を促すシンポジウムとなったことが伝わってきます。
最後に、浦上委員長は、「記念誌の作成を通じて、全損保がさまざまな試練を経験し、教訓を積み重ねてきた歩みは今も続いていて、いまに続く底力を感じた」と述べたうえで、「70年の歴史を持つ全損保に『明日を変える』可能性があり、掲げる要求の正しさと運動の展開が明日への展望につながるよう運動を前進させていきたい」と決意を述べパネルディスカッションをまとめました。
全損保ホームページ「全損保結成70周年記念シンポジウム」