全損保女性のつどい(2019年12月14日)
全損保は昨年12月14日、16年目となる女性のつどいを東京で開催し、61名が参加しました。例年のつどいでは、講師を招いて講演をおこなっていましたが、今年は、全損保が結成70周年を迎えたことから、参加者に全損保や仲間の大切さを実感してもらう場として、『話して、聞いて、共感して』をおこないました。
『話して、聞いて、共感して』ではあいおいニッセイ同和支部の向井さんが司会をして4名の女性組合員がそれぞれの思いを語りました。
日本興亜支部の中島さんは、入社したころは職場に組合役員がたくさんいて活動が楽しそうで、中島さんも東京地協の青年婦人部の活動などに参加し始めました。その後、日火支部の全損保脱退、会社の合併が相次ぎ職場は厳しくなっていきます。女性のつどいの実行委員として中心になってきた中島さんですが、残業が重なり実行委員会に遅れてしまうことがありました。そんな時でも、遅れても参加しようと思ったのは「集まりに参加するとホッとするから」と話しました。この気持ちは他の発言にも共通するもので、女性のつどいを支えてきた実感であることが伝わってきました。
損保ジャパン支部の塚本さんは実家が広島で、おばさんが広島で電車に乗っているときに原爆投下にあった悲惨な様子を紹介。広島の平和のとりくみやニューヨークの核兵器拡散防止条約(NPT)再検討会議の行動にも参加しました。(2010年5月 NPT全損保代表団)
⇒全損保「NPT再検討会議 全損保代表団」記事へ
塚本さんは、労働組合は「おじさんたちがすること」と思っていたが、広島地協の青年婦人部幹事などを経験する中で、自分自身も変わってきたと話しました。企業合併・再編の中で全損保からの脱退など組織問題も発生した。本当に大変だったけれど、全損保の企業を超えた横のつながりの「ホッとする場」に支えられ働き続けられたと回想しました。
共栄火災支部外勤部の佐治さんは、仕事を始めたころのつらかった思いを語りました。保育園に子どもを預けて会社に向かおうとすると子どもが大泣きして、職場の朝礼への遅刻を繰り返しました。毎朝、支店長に怒鳴られ「もうやっていけない」と思った時、高齢のお客さんに「あなた以前は、担当が何人も変わった。せめて私が死ぬまではあなたが担当して」と言われました。こうした言葉に支えられたという佐治さんは、女性のつどいの楽しさは『表』の楽しさもさることながら『裏』の楽しみが捨てがたいと言います。
「裏の楽しみ」は、例年の女性のつどいに向けて毎月のように開催される実行委員会に参加することです。仕事が終わった後、夕方に集まる実行委員会では、色々なことを話せる。つどいでおこなう企画について「お試し」で事前に体験することもありこれも楽しいのです、と実行委員会への参加を呼びかけました。
あいおいニッセイ同和支部の梅田さんは、あいおい支部が全損保から脱退していった時を振り返りました。全損保に残るとその後どうなるか、多くの仲間に不安がありました。梅田さんは、なぜ全損保に残ろうと思ったか。新しく作られる組合の方針が「労働組合として自立した組織ではなく、会社の組織の一部」だと感じ、違和感を持ったと話しました。そして、それまでも参加してきた女性のつどい実行委員会には悩みや思いを共有でき、よりどころとなる仲間がいました。組織分裂の時に全国で仲間が励ましてくれたことも大きかったと言い、その中で、他支部の仲間から分裂で一度は会社派の組合に行き、全損保に戻ってきた経験を聞きました。その組合員は会社派の組合に行って、周りはみんな会社派の組合員だったけれど本当の仲間とは思えず孤立していた。全損保に戻ってきて、近くに全損保組合員はいなくても、仲間に支えられていると感じていると話してくれた。梅田さんは、その方の思いを自分のこととして実感していると話しました。合わせて梅田さんは、全損保が組織を上げてたたかった日動外勤支部のたたかいを一緒にたたかった経験が大きかったと付け加えました。
⇒全損保「日動外勤支部のたたかい」記事へ
『話して、聞いて、共感して』の時間は、最後に女性のつどい実行委員長の中島さんが次のように発言して終わりました。
女性のつどいは今の形になって16年間続いています。これは、企業の枠を超えた単一組織の全損保だからできることだと思います。今日のお話でも、仲間の存在と集まって話し合うことの大切さが共有できたと思います。仲間が支えてくれる。みんなが励ましてくれる。そういう労働組合の組合員だと思っていただけましたら、これからも様々なとりくみに参加してくれるように職場の仲間に働きかけてください。
女性のつどいは12月14日の午前11時から始まりフリータイム、『話して、聞いて、共感して』、懇親会・クリスマスミニコンサートと終日行われました。
⇒全損保「女性のつどい」記事へ