解雇撤回の提訴をしてから3年半が経ちました。仲間二人の職場復帰を目指して頑張ってきました。一審の福井地裁、二審の名古屋高裁金沢支部は私たちの主張を一切認めませんでした。昨年の11月に最高裁へ上告して、わずか3か月余りでまともな審議もなく棄却となりました。「棄却」と聞いたときには怒りを通り越して、こんなにむなしいことは生まれて0以来なかったといえるほどがっかりしました。当事者の二人も今でもそう感じていると思います。
発端は平成23年の9月、地方雑誌に武生信金の不正融資発覚という記事が掲載されたことです。小さな年商数千万円の造り酒屋に15億円もの不正融資が行われたという記事でした。人口8万程度の小さな武生市(現在・越前市)ですので住民もかなり動揺しました。
私たちは団体交渉でその雑誌を持ち込み「ここに書いてあることは本当なのか」と追及しました。経営側は「知らない」「答えられない」と一切説明しませんでした。そのため私たちは北陸財務局に「経営側がこの問題にしっかり答えるように指導すること」を要請しました。しかし、財務局は「個別の事案にはお答えできません」という対応に終始しました。後に解雇された二人は「事実を追及してまともな経営にしなければならない」という思いで役員の社内メールにアクセスしました。
メールを見て不正融資の一部始終が明らかになりました。これをもとに私たちは公益通報しようと準備をしていましたが、その最中に金庫経営がメールの閲覧に気が付いて、二人を問い詰めて懲戒解雇したのです。平成25年12月に懲戒解雇されました。私がどうしても許せないのは、懲戒解雇の2か月前に彼ら二人を刑事告訴したことです。それを絶対許すことができません。まだ職員である二人を刑事告訴した。彼らの家に刑事が何人も来て捜索をしていった。その後当然ですが不起訴処分になりましたが、従業員を犯罪者扱いしたことに私は納得がいきません。
法的には解雇有効という判断が下されましたが、私たちはあきらめていません。何も悪いことをしていません。経営者が不正融資という悪いことをして罪に問われず、私たちの仲間二人は人生をメチャクチャにされたのです。国会でも取り上げられ経営の不正・犯罪は明らかになっています。
何度も金融庁に要請を行ってきました。職員が当局に通報していたことも分かっています。財務局・金融庁は不正融資の事実をわかっていながら何も行動を起こさなかった。そこが問題の発端だと思います。組合の役員の二人は金融庁・財務局がしっかりとやることをやっていればメールを閲覧しなくても済んだし、今も私たちと一緒に仕事をしていると思います。武生信金は昨年2月に福井信金に合併されました。80数名の職員が全員雇用されています。解雇された二人だけがいません。福井信金が武生信金を救ったのではありません。彼ら二人が武生信金を救ったのです。そう私は思っているし、口には出さなくても職員もそう思っている。地域の住民も同じだと思います。正しいことは正しいとはっきり主張できる金融労連の加盟組合として、争議解決のために二人の職場復帰を目指して頑張っていきます。ご支援よろしくお願いします。
私は近畿大阪銀行に1986年に入社しましたが、家庭の事情で退職し、2006年、当時の大阪市信用金庫(現在の大阪シティ信用金庫)に入社しました。最初に配属された支店が支店長の暴言が当たり前という支店でした。この支店長は成績至上主義で他のことは一切認めない。成績につながらないこと、例えば融資返済の条件変更は毎月25日まで一切認めない。お客さんの経営が苦しい時にはそれに対応するのが銀行員、信用金庫マンのポリシーだと思います。その問題で部下が泣きついてきました。私は表に出ないで側面から支援しました。しかし、私が支援したことが発覚して、私へのパワハラが始まりました。「うつ病のお前に存在価値があるか」などの暴言が重なり、私には挨拶を返さない、得意先の役席である私に毎日「お前は粗品を管理しろ」と言われました。毎晩10時まで残業しろと言われ、パソコンは7時に切れという。パソコンがなければ融資案件は処理できません。家にお客さんの決算書類を持ち帰ってやれといわれ、毎晩深夜まで残業をしていました。そういう状態が続き8か月でメンタルが壊れてしまいました。
休職して金融ユニオンに加入して団体交渉を8回しましたが、2014年12月に解雇されました。この支店長は部長に昇格しています。金融庁の方針に違反した人物が昇格し、私は解雇されているのです。大阪シティ信用金庫にはほかにも表面に出ていないパワハラがあります。企業内に労働組合はないので個別の労働者は泣き寝入りしています。私は昨年9月に裁判に踏み切りました。私は粉骨砕身頑張っていきますので、ご支援よろしくお願いします。